2007年12月11日
SL内ブラウザ
あったらいいな。こんなブラウザー。

SLからブラウザを呼び出すことは出来るけど、
まだSL内でブラウザを立ち上げることはできないのです。
(と思う。ひょっとして、既にある?)

でもいつか、こういうことも出来るようになると、
ブラウザで表示された記事を前にして、
仲間と一緒に、わいわいがやがやと、
「今日どこへいこうかな?」「このブログのここへいこうぜ」とか、
「この人、おもしれー」とか、
そういう広がりが出来るような気がするのです。
例えば、

「あ、この人のブログみたことある。面白いよねー」
「そういえば、さざんさんのカフェって、出来たんだっけ?」
「面白そうだねー」
「行ってみようか?」
「なんて名前のカフェ?」
「えっとねー…さざん…」

WIDN……
さざん…うぃどん……って……

ネタの宝石箱や…
#さざんさん、一回コメントくれただけでお友達気分。
#逢ったことないですけど、大ファンです。 続きを読む

SLからブラウザを呼び出すことは出来るけど、
まだSL内でブラウザを立ち上げることはできないのです。
(と思う。ひょっとして、既にある?)

でもいつか、こういうことも出来るようになると、
ブラウザで表示された記事を前にして、
仲間と一緒に、わいわいがやがやと、
「今日どこへいこうかな?」「このブログのここへいこうぜ」とか、
「この人、おもしれー」とか、
そういう広がりが出来るような気がするのです。
例えば、

「あ、この人のブログみたことある。面白いよねー」
「そういえば、さざんさんのカフェって、出来たんだっけ?」
「面白そうだねー」
「行ってみようか?」
「なんて名前のカフェ?」
「えっとねー…さざん…」

WIDN……
さざん…うぃどん……って……

ネタの宝石箱や…
#さざんさん、一回コメントくれただけでお友達気分。
#逢ったことないですけど、大ファンです。 続きを読む
2007年12月01日
おセカンですか?
ちと格好悪いほどの真面目記事
セカンドライフがやたらとバッシングを受ける機会が多いけど
何故なんだろう。ということを真面目に考えてみた。
バッシングを受ける理由はいくつかあるのだろうが
要するに
○いい部分を言いにくい反面、悪い部分を言いやすい
という点かなと思う。
いい部分を言いにくいというのはSLをやっているほとんどの人が分かるように、
「やってみないとわからない面白さがある」
という厄介な問題があるからだろう。これは非常に深刻な問題だ。
感動するような景色も、笑えるスクリプトも、おかしな格好や世界も、
実はブログなどで紹介している多くの人が、
その魅力を、SLをやっていない人に対して伝えきれずにいる。
伝えている人は、僅かなのだと思う。
#かく言う僕も、大きくセカンドライフの内輪ウケだ。
そうなってしまう理由は、面白さの根源は昔から同じなのに、
それをうまく説明する類例が過去に少ないからだと思っています。
例えるだけで面白さがゆがんでいくような感じです。
反面、悪い部分は言いやすい。
・アクティブ数はたったの○万人だ。
・コミュニケーションは面倒だ。
・同期型だ。
・目的がない。
・3Dにして、それでなに?
などなど。
「セカンドライフは一部の企業が熱狂しただけのインターネットの間違った方向性だ」
くらいの勢いがある。
でもSLにいて、その魅力にはまっている人にとっては、
その『悪いといわれる部分』を聞くたびに
「…それは他の媒体にもあるからそれを利用すれば?」
「それだからといって、SLの面白さを否定できないよね?」
と思う人も多いと思う。
僕もその一人。
そして、僕はその悪い部分を挙げる記事を見るたびに、ふさぎこんでしまう。
コンピューター、メール、インターネット、イントラネット、オンラインゲーム、携帯のi-mode、
全てにおいて、必ず、新しい未来を否定する記事が出現して、
そして、その同じ人が、数年後にそれを賞賛する記事を、
厚顔無恥に今後も書くからだ。
でもそれは仕方がないことなのだと思う。
理解できないのだから。
ちなみに物事が流行っていく過程というのは、
ロジャースの普及理論
というのがあって、僕はよくこれを物事の発展時に読み直すのですが、
セカンドライフは今は酔狂な「イノベーター」によって支えられ、
多くのブロガーが「アーリーアダプター」として、次の「アーリーマジョリティ」に面白さを伝達していく
そういう重要な時期にさしかかっているのだと思う。
そして、まさに「キャズム」に陥っているのだと。
キャズムに陥る最たるは、それをうまく「伝えられない」ことです。
なので、深刻な問題だなぁと、思うのですよ。
ただし、「一度開いた扉は再び閉じることがない」という科学の発展において、
僕はセカンドライフが挑戦していることは、セカンドライフが達成できなかったとしても、
何かがそれを継承し、達成していくと思っています。
なぜならば、ここは「未来」であり、「未発達のメディア」でありながら、
既に間違いなく何かしらの「面白さ」が存在しており、
それを否定できないからです。
で、過去の事例や表現方法では伝えきれないときに、
人はどうするか?
勝手に言葉つくっちゃえばいいんですよっ!
どう?ナイスアイディア?
セカンドライフがやたらとバッシングを受ける機会が多いけど
何故なんだろう。ということを真面目に考えてみた。
バッシングを受ける理由はいくつかあるのだろうが
要するに
○いい部分を言いにくい反面、悪い部分を言いやすい
という点かなと思う。
いい部分を言いにくいというのはSLをやっているほとんどの人が分かるように、
「やってみないとわからない面白さがある」
という厄介な問題があるからだろう。これは非常に深刻な問題だ。
感動するような景色も、笑えるスクリプトも、おかしな格好や世界も、
実はブログなどで紹介している多くの人が、
その魅力を、SLをやっていない人に対して伝えきれずにいる。
伝えている人は、僅かなのだと思う。
#かく言う僕も、大きくセカンドライフの内輪ウケだ。
そうなってしまう理由は、面白さの根源は昔から同じなのに、
それをうまく説明する類例が過去に少ないからだと思っています。
例えるだけで面白さがゆがんでいくような感じです。
反面、悪い部分は言いやすい。
・アクティブ数はたったの○万人だ。
・コミュニケーションは面倒だ。
・同期型だ。
・目的がない。
・3Dにして、それでなに?
などなど。
「セカンドライフは一部の企業が熱狂しただけのインターネットの間違った方向性だ」
くらいの勢いがある。
でもSLにいて、その魅力にはまっている人にとっては、
その『悪いといわれる部分』を聞くたびに
「…それは他の媒体にもあるからそれを利用すれば?」
「それだからといって、SLの面白さを否定できないよね?」
と思う人も多いと思う。
僕もその一人。
そして、僕はその悪い部分を挙げる記事を見るたびに、ふさぎこんでしまう。
コンピューター、メール、インターネット、イントラネット、オンラインゲーム、携帯のi-mode、
全てにおいて、必ず、新しい未来を否定する記事が出現して、
そして、その同じ人が、数年後にそれを賞賛する記事を、
厚顔無恥に今後も書くからだ。
でもそれは仕方がないことなのだと思う。
理解できないのだから。
ちなみに物事が流行っていく過程というのは、
ロジャースの普及理論
というのがあって、僕はよくこれを物事の発展時に読み直すのですが、
セカンドライフは今は酔狂な「イノベーター」によって支えられ、
多くのブロガーが「アーリーアダプター」として、次の「アーリーマジョリティ」に面白さを伝達していく
そういう重要な時期にさしかかっているのだと思う。
そして、まさに「キャズム」に陥っているのだと。
キャズムに陥る最たるは、それをうまく「伝えられない」ことです。
なので、深刻な問題だなぁと、思うのですよ。
ただし、「一度開いた扉は再び閉じることがない」という科学の発展において、
僕はセカンドライフが挑戦していることは、セカンドライフが達成できなかったとしても、
何かがそれを継承し、達成していくと思っています。
なぜならば、ここは「未来」であり、「未発達のメディア」でありながら、
既に間違いなく何かしらの「面白さ」が存在しており、
それを否定できないからです。
で、過去の事例や表現方法では伝えきれないときに、
人はどうするか?
勝手に言葉つくっちゃえばいいんですよっ!
どう?ナイスアイディア?